2006年12月から 2005年10月までの テネシー日記。 By_Kimiee 楽しいモノ 大スキ★ fab通信もヨロシク。 カテゴリ
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一ヶ月ほど前、お世話になった英語の先生が突然亡くなり、
お葬式に出席することになりました。 でもアメリカのお葬式って言ってもピンと来ない。 誰に聞いても曖昧な返事が返ってくるんです。 とりあえず、ネットで調べてみました。 検索に引っかかってきたこちらのページを参考に地味な黒いワンピースとカーディガンで行くことにしました。 参考:アメリカにおける葬儀 亡くなった翌日に地方新聞には、先生の簡単な経歴(第2次世界大戦での軍人さんだったそうでそのこととか)や家族構成などが書かれていて、葬儀のことはFuneralHouse(葬儀場)に電話となっていました。 その翌日の新聞には、告別式のように遺体に最後のお別れを言いに来る会と葬儀の場所・日程が書かれていました。 葬儀当日。 会場の教会に向かった私ですが、真っ赤なセーターや原色緑のコートなど、意外とカラフルなみんなの服装に面食らってしまいました。 男の人たちはスーツの人もいましたが、喪服のように黒いスーツの人はほとんどいませんでした。 ただクリスマスの時のように柄物のセーターを着ている人は見かけず、教会に礼拝に行くときのような格好なんだと思います。 でも、これは南部の田舎だからだと思います。 次に式の内容ですが、子供達や友達が次々に出てきて故人が生前どんな素晴らしい人物だったかを語っていきます。 時折(というか頻繁に)会場全体が笑いに包まれるような和やかなムードでした。 先生の娘さんは薄いピンクのスーツで現れ、先生の名前を使った"あいうえお作文"のようなことをして会場を沸かせていました。その合間に賛美歌、教会の歌の先生のソロの歌(歌謡曲っぽいキリスト教の歌だと思う)などがありました。 最後はバグパイプによるアメージンググレースの演奏と共に 先生のご遺体と家族の方が退場されました。 軍人さんだったためか、ご遺体は星条旗に包まれていました。 この後、日本ではバスで霊柩車について火葬場に行きますが、 アメリカでは霊柩車の後ろに個人の車でゾロゾロ繋がって、墓地へ向かいます。 後続車はこの時ハザードを付けています。 ハザードを付けた車が大量に通るのは葬儀の知らせです。 一般車両はこの行列を見たら、道を譲るなどして通行を邪魔してはいけません。 (免許の教本にもちゃんと書いてあります。) 私はここまで行けなかったので、その先はわかりませんが、 後日、墓地に行ったときに穴を掘って棺を埋めた上にたくさんの花が飾られているのを見ました。 これは葬儀の後で行われたのか、墓地で葬儀が行われたのかわかりません。 ちなみに墓地で葬儀を行う場合は、よく映画であるような正装(喪服)をして行かなくてはいけないそうです。 ついでに言うと、この辺の墓地は日本にある"外国人墓地"のようではなく、野原にプレートがしいてあり、備え付けられた受けに花が飾ってあるだけの簡易なものです。 また飾られた花も生花ではなく造花です。 日本のように菊とかじゃなく、普通に派手な花や、クリスマスの花だったりします。 宗教の違いもあるでしょうが、アメリカの葬儀は日本とは違い、故人を明るく送ってやろうという感じに見受けられました。 ただ泣いてばかりでみんなで悲しみを分け合うのではなく、こんなに素晴らしい人物だったという思い出を共有して、故人を尊び、忘れないようにしようという気持ちがあるのでしょうか。 ワンワン泣いていたのは私一人で、先生の奥様にまで慰められて非常に恥ずかしかったです; 注) このブログに掲載されている情報は2005年当時のものであり、 現在も継続して信頼できるものとは限りませんのでご了承ください。
by kimiee_5750
| 2005-02-27 23:58
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